33歳 産休・育休ママの家計改善

妊娠・出産・家事・育児・家計管理のお話

ハイリスク妊婦の第3子出産 〜妊娠中の経過〜

 

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出産前、マタニティブルーのままブログを書いていましたが、ついにこの日がやって来ました。

 

第3子の出産。

 

第2子のことがあったので、不安から解放されることのないマタニティライフでした。

 

↓第2子の出産についてはこちらから。

 

第3子の出産にあたり、妊娠当初から言われていたことは、

👨‍⚕️「1番常位胎盤早期剥離(以下、早剥)になるリスクが高い、妊娠36〜37週で計画自然分娩をしましょう」

ということでした。

 

妊娠32週を過ぎた頃から週2回ノンストレステスト(NST)を行い、赤ちゃんの元気さをチェックしていきましょう。でも、NSTをやっていたからといって、早剥を必ず防げるというわけではなくお守り代わり、とのことでした。

 

NSTで異常がなければ、3〜4日は安心と考えていいと説明してくれました。

 

でも、私はちょうどその頃にりんご病になってしまったため、他の妊婦さんに移してしまうリスクがあり、週2回NSTを行えたのは2回のみだったのですが(^-^;)

 

妊娠初期にこのような説明を受けましたが、後期に入るまでは特に今までの妊娠時と大きな違いもなく、月1回や月2回の健診を受けていました。

 

 

早剥予防のために気にかけていたこと

 

1度早剥になった人は、また早剥になる確率が10倍上がると言われています。

 

2度と繰り返さないために、私が特に気にしていたことは、

  • お腹の張り
  • 羊水の量
  • 胎動
  • 便秘

です。

 

 

お腹の張り

 

私は第1子の時からお腹が張りやすい方でした。

 

立ち上がったら張る、ずっと立ってても張る、横になっていて姿勢を換えても張る、それが当たり前でした。

 

妊娠6〜7ヶ月の頃から1時間に3〜4回は張るのが普通になっていました。

 

今回NSTをしてもらってわかったのですが、自分が張っているという自覚がないのに張っていた、ということもあったようです。

 

気づいていないだけで、1時間に3〜4回では済まないほど張っていたこともあったのでしょう。

 

ストレスが溜まったり、立ちっぱなしの時間が長くなると、お腹の張りも強くなり、張ってるなぁ〜と感じるだけではなく、痛みを感じることも妊娠後期では多かったです。

 

横になって休まないとお腹の張りが治らないこともよくあったので、料理をする合間に横になって5分ほど休むということもしょっちゅうでした。

 

ストレスが溜まってイライラしている時は特にお腹の張りもひどく、通常1分ほどで治る張りも、横になってもエンドレスに張り続けて、ヒドイ時は30分以上続くこともありました。

 

自分がイライラする気持ちをフッと抜けるまで、お腹の張りは続いていました。

 

夫とケンカした後は特にお腹も張り続けて痛くて、病院へ行った方がいいかも、と思うほどでしたが、1人になりバラエティを見て笑えた瞬間、お腹の張りも治ったので、ストレスはお腹の張りに大きく関係していると思います。

 

ストレスを溜めないこと、イライラしないこと、コレすごく大事です!

 

 

羊水の量

 

早剥になった第2子の妊娠中、よく言われたのは「羊水が多い」ということでした。

 

羊水が多いと子宮内の圧が高くなりやすく、早剥になりやすいそうです。

 

それぞれ通院していた病院が違うので判断基準に差があるかもしれませんが、第1子や第3子の時には羊水の多さを指摘されることはありませんでした。

 

念のため第3子の時には羊水の量を聞くようにしてましたが、標準ぐらいだと毎回言われていたので、安心材料になっていました。

 

 

胎動

 

第2子の時、最後の胎動を感じてから、痛みの方ばかりに気が向き、胎動の間隔まで気にかける余裕がありませんでした。

 

もっと胎動のことを気にかけていたら、早くに異常に気がつけたのに…という思いがあったため、第3子の時は最後に胎動を感じたのがいつだったのかを思い返すようにしていました。

 

前に胎動を感じてから何時間経ってるかも思い出せないぐらいになってしまうと、すごく不安になり、赤ちゃんの足を探して押してみて、胎動があるかを確認していました。

 

 

便秘

 

第2子の時、お腹の痛みを便秘の痛みと勘違いして、トイレで腹圧をかけてしまいました。

 

その時に最後の胎動を感じたのですが、苦しいと最後にもがいたのかもしれません。

 

今回は便秘の痛みと間違えることのないよう、整腸剤をもらって、毎日腹圧をかけなくても楽に排便できるようコントロールしていました。

 

 

妊娠後期のトラブル

 

妊娠後期に入り、私は

になってしまいました。

 

妊娠糖尿病

 

妊娠糖尿病になると羊水が多くなりやすい傾向にあるそうです。

 

第2子の時は妊娠糖尿病と診断はされなかったものの、羊水の多さを指摘されていたため、第3子はさらに羊水が多くなってしまうのではないかとビクビクしていました。

 

食事を6回に分け、高血糖にならないように1回の炭水化物の量を半量にして、毎食前後の血糖値を測っていました。

 

血糖値を意識した食事になると、エネルギー量も減り、体重も妊娠前と比べて+6kgとあまり増えなかったため、赤ちゃんがちゃんと大きくなっているのか心配にもなりましたが、生まれてきた赤ちゃんは37週でも2700gあったのでホッとしました。

 

お腹が張りやすいため、あまり運動はできませんでしたが、朝娘を保育園へ送った後、10分だけは毎日歩くようにして、プチ運動療法も行なっていました。

 

 

切迫早産

 

妊娠8ヶ月に入ってすぐ、頸管長が28.9mmまで短縮してしまいました。

 

その頃仕事も申し送りで忙しくなっており、お腹の張りも頻繁で痛みもあり、赤ちゃんが出口に向かって押しているような感覚があって気になっていました。

 

健診時に診てもらうとやはり頸管長が短くなっていたため、先生に診断書を書いてもらい、その日から早めに産休に入らせてもらうことにしました。

 

仕事に行かなくなると立っている時間も減って、お腹の張りも少なくなり、出口に向かって押されるような感覚もなくなっていきました。

 

 

りんご病

 

これは思いもよらないトラブルでした。

 

娘の保育園でりんご病が流行っていたことも知らず、年明けに娘の頰が赤いことが気になり、担任の先生に言ってみたところ、園でりんご病と診断された子が他の学年だけどいたことを知りました。

 

年末は登園する子も少なく、他の学年の子と同じお部屋で見てもらうことも多かったので移ってしまったようです。

 

その頃ちょうど関東でりんご病が流行っていること、妊婦が感染すると死産する恐れもあることなどがニュースでも取り上げられていたため、怖いなぁとは思っていました。

 

でも関東在住ではないし大丈夫だろう、そう思っていたのですが、私の住む地域でもりんご病が流行っていたとは…。

 

娘の頰が赤くなり、もしもりんご病なら私も産婦人科の先生に相談しなくては、と思い、大してしんどそうには見えませんでしたが小児科で診てもらったところ、やはりりんご病だと。

 

りんご病は私に感染し、赤ちゃんにも感染してしまいました。

 

ついでに夫にも。

 

赤ちゃんのことが心配で仕方ないのに、妊婦さんがたくさん来る産婦人科へ私が出入りすることは他の妊婦さんへの感染リスクでしかなく、紅斑などの症状が出てからもしばらくは通院できず不安な日々を過ごしました。

 

紅斑も治り、しばらくしてからようやく病院で診てもらうと、赤ちゃんは貧血になっていました。

 

貧血になると、赤ちゃんの体内の血液量が増えて浮腫むそうです。

 

基準値を超えた貧血になると、赤ちゃんがまだ小さくても早めに出産して直接輸血することが1番の治療と言われていましたが、かろうじてその基準値には達することなく経過してくれました。

 

毎週、その時によっては週2回、超音波で赤ちゃんの脳の血流速度を調べ、貧血が進行していないかチェックしていましたが、最初に貧血になっていると聞いた時から数値はだいたい同じぐらいを保っていたようです。

 

急激に貧血が進行する場合もあると聞いていたため、胎動にもさらに気を配っていましたが、私が痛いと思うぐらい元気に脚を伸ばしているのを感じると、このまま元々の予定の36〜37週までいけそう、と思うことができました。

 

 

貧血

 

妊娠34週頃の血液検査で、今度は私自身も貧血になっていることがわかりました。

 

これはりんご病によるものとは関係なく、妊婦さんは誰もがなりやすいものだそうです。

 

ずっと安静時の脈拍も100回/分を超えていたので、動悸を感じることもあったのですが、この頃から手足のむくみも感じていました。

 

ヘモグロビンの値も一桁になってしまったため、鉄剤と葉酸を処方され飲み始めたところ、動悸も感じられなくなりました。

 

 

妊娠期間を終えて

 

妊娠中いろんな合併症とリスクがありましたが、当初の予定通り37週までお腹にいさせてあげることができました。

 

なんかホント奇跡だなぁって思います。

 

第2子のことがあったから、1つ1つのトラブルにすごくナーバスになって泣くことも多かったし、娘との関わりに対しても我慢させることが多かった。

 

でも、娘もよくわかってくれたし、夫も毎日仕事後まっすぐ帰ってきて家事や育児をしてくれ、赤ちゃんと私のことを気遣ってくれました。

 

夫とケンカすることも、娘を怒りすぎてしまうこともありましたが、家族が1つのチームになって、みんなで赤ちゃんをお腹の中で育てられたなぁと感じます。

 

37週までお腹にいてくれた赤ちゃん、夫、娘に感謝です。

 

 

出産編につづく。。。

 

第3子 無事に生まれました!。゚(。ノω\。)゚。

 

今まで第2子を死産したことをブログで綴ってきましたが、先日ついに。。。

 

元気な女の子を出産しました!!!✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。

 

もう本当に本当に嬉しくてたまりません!

 

こんなに不安だったマタニティライフはなかったし、こんなに嬉し泣きをした出産もありません。

 

第1子の娘には悪いけど、1番幸せな出産でした。

 

言葉で表現するならこんな感じ。

 

第1子は、自分から赤ちゃん本当に生まれたよ!ビックリ!スゴイ!な出産。

 

第2子は、何でこんなことになってしまったん?本当にごめんなさい、悔しすぎる、後悔、涙の出産。

 

第3子は、不安で不安で仕方なかったけど、本当に元気に生まれてきてくれてありがとう!1つ乗り越えられた気がする!な出産。

 

出産は十人十色。

 

1つとして同じ出産はないことはわかっていましたが、こんなにも違うんですね。

 

第3子は、切迫早産になるわ、妊娠糖尿病になるわ、りんご病になるわ、赤ちゃんにも感染して貧血になるわ、常位胎盤早期剥離のリスクもあるわで、マタニティブルーにもなるし、本当に最後の最後まで気を抜けないマタニティライフでした。

 

そんな日々を家族、先生、助産師さん、職場の人、友達、たくさんの人に支えてもらって乗り越えて、本当にたくさんの人への感謝ばかりです。

 

先生も、基本は外来担当なので、私の出産に立ち会うことはないだろうと思っていたのですが、入院した日も、出産当日の朝も、病棟へわざわざ来てくれて、不安なことはないか、大丈夫か、と最後まで聞いてくれました。

 

そして外来が終わった後に分娩室に来てくれて、ちょうどもうすぐ子宮口全開!というタイミングだったこともあり、出産の瞬間にも立ち会ってくれました。

 

娘の顔を見れた時、その産声を聞けた時、私の目は涙でイッパイでした。

 

ありがとう。

 

本当にありがとう。

 

この言葉しかありません。

 

お空に行ってしまった息子が、この子を守ってくれたんだと思います。

 

 

イロイロ書きたいことがありますが、取り急ぎご報告まで。

 

またゆっくりペースにはなりますが、第3子の出産のことを書きたいと思います。

 

ここからがまた新たなスタート。

 

1日1日を大切に、悩みながらも夫婦2人で力を合わせ、歩んでいきたいと思います。

 

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朝の時間を自分時間に

 

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最近よく朝4時頃に目が覚めます。

 

出産前ということもあり、赤ちゃんが生まれた後の生活に早く慣れるように、眠りが浅くなっているようです。

 

おばあちゃんか!って思うんですが、その後もなかなか寝つけないので、思いきって起きる生活に変えてみました。

 

すると、朝の時間っていいことばかりだなぁと気づきました。

 

昔は朝に弱くて、夜もたくさん寝たいタイプだったんですが、変わるもんですね。

 

 

自分時間の使い方

 

1.ポイ活

 

せっかく目が覚めたし、と私がいつもすることはまずポイ活。

 

ハピタス、ポイントインカム、モッピー、ライフメディア、ワラウ、ポイントタウン、ドットマネー、楽天ポイントスクリーン・楽天リベート・楽天パシャ、Tポイントサイト、これらをラウンドします。

 

多すぎるため取捨選択もそろそろしようとは思うのですが、続けれる内はやっていこうかと思ってます。

 

ハピタスはログインボーナスがないので、1日開かないで終わることも多いです。

 

ハピタスとTポイントサイト以外は毎日1ポイント以上はもらえるので、必ずログインするようにしています。

 

チリツモですが、のんびりでも貯めていけばいつかは山となるので、まだみんなが寝静まってる間にコツコツとやってます。

 

先日も貯まったポイントをTポイントに交換して、ウエルシアで日用品をお安くゲットしてきました。

 

ポイント交換を忘れてて、ギリギリ間に合わないかと焦る事件はありましたが(^^;;

 

お買い物合計2,664円のところ、1,039円だけ実費を払って購入できました!

 

すごいと10,000円以上のお会計をタダでゲットしている方もいらっしゃるのですが、そこまでできなくてもお安く購入できるのはありがたいことです(๑´ω`ノノ゙✧

 

通称ウエル活、気になる方はこちらをご覧ください。

monacooonのやってるポイ活まとめ

 

 

2.ブログを書く

 

なかなか静かに集中してブログを書ける時間も少ないので、朝の自分時間をブログを書くことにも当てています。

 

日中にブログを書くと、家事が滞ってしまうこともあるのですが、朝なら決めた時間を守りやすいのです。

 

夫や娘を起こすまでの時間、と決めて取り組めるからですね。

 

ある程度朝時間に書いておいて、仕上げを日中のあいた時間に書いたりもしています。

 

ブログを読むのは日中が多いです。

 

 

3.インスタ

 

手書きでの家計管理を本格的に始めてから、インスタから得られる情報はかなり重宝しています。

 

自分の家計管理を見直すきっかけにもなり、またみなさんのやりくり方法や節約方法、子どもの学資貯金のためにどんなことをしているのかなど、あらゆることを知ることができます。

 

イラストや写真でわかりやすく説明されている方も多いので、頭に入ってきやすいです。

 

自分の家計管理のことも、モチベーションアップのために書いています。

 

インスタのポストを作るのも、余裕があれば朝にやっています。

 

 

4.家計簿タイム

 

毎日使ったお金は帰宅したらすぐに書くようにしてるんですが、朝の自分時間では集中して計算する必要がある、10日ごと・毎月の締めの時間に使っています。

 

計算してる時って話しかけられたりするとわからなくなってしまうので、静かに集中して取り組みたいんですよね。

 

この費目はここに入れた方がいいのか、など、まだ試行錯誤する部分もありますので、そういったことを考えるのも朝の方が向いています。

 

 

5.気づいたことをメモ

 

ブログやインスタから得られたことを自分の中に落とし込む作業もしています。

 

手帳に、心を動かされた言葉や、ネガティブモードになってる時に肩の力を抜く言葉などをメモ。

 

子どもを怒りすぎてしまった時なんかは、その時の気持ちも一緒に書くようにしています。

 

文字に起こすことで自分の頭の中をスッキリさせるのが、私にとってはいいようです。

 

 

朝の自分時間のいいところ

 

ほとんどスマホと向き合っている朝の自分時間ですが、集中して取り組みたいことは、朝が1番向いています。

 

みんなが寝てるから静かだし、誰にも邪魔されません。

 

好きな飲み物を飲み、頭をクリアにして、昨日のごちゃついた気持ちも1度リセットした状態から振り返りを行えるんです。

 

これが夜だと、イライラして終わった日なんかは気持ちもヒートアップしてるから手帳に気持ちを書いても愚痴になったり、響く言葉もスルーしてしまう頭になってて、心に届きません。

 

ダラダラとテレビを見ながらの作業にもなりがちですが、朝ならテレビを付けても4時とかだとニュースかテレビショッピングしかやってないので、そもそも付けようという気にもならないんですよね。

 

ニュースは朝みんなが起きてから一緒に見ればいいですし。

 

赤ちゃんが産まれたらまた生活リズムもズレてくるとは思うのですが、できるだけ自分1人の時間もとりたいと思っています。

 

じゃないと心のバランスが取れませんから。゚(。ノω\。)゚。

 

長女の育休中は、お昼寝しても30分もしない内に目が覚めて泣かれることがしょっちゅうで、本人も寝足りなくてグズグズすることも多くて、日中に自分の時間をとれずに、何なら家事すら進まなくて、ストレスも溜まりやすかったんです。

 

今回はうまく朝の自分時間をとって、日中は子どもとたくさん遊ぶ、ってできたらいいなと思ってます。

 

育休中だからって、ダラダラ過ごさないように、時間管理もできるだけして、時間に余白をもって過ごせるようにしたいです。

 

さぁ〜明日から入院です!

 

最後の1人の時間を大切に過ごそうと思います♡

 

番外編 死産後の体のこと

 

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これは、妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、息子を死産した私の経験談です。

 

これまでに、発症から入院・出産・退院・お別れまでのことを書いてきました。

 

最後に番外編として、死産後の私の体のことについて記して終わろうと思います。

 

 

死産でも、出産したからママの体

 

悪露

 

悪露はわりと早くに止まりました。

 

産後2日目までは産褥パットも1番大きい物を使ってましたが、4日目からは昼用ナプキンでも大丈夫なほどに。

 

1週間ほどで悪露も出なくなりました。

 

子宮内でたくさん出血していたそうですが、悪露は第1子の時とあまり変わりありませんでした。

 

 

母乳

 

産後の私の体は、これから赤ちゃんにおっぱいをあげるぞモードに入っていました。

 

出産した日におっぱいの分泌を抑制する薬を飲んでいたため、息子を送り出す日までは胸の張りも感じず、1滴も出ないように思えました。

 

しかし、産後1週間が経ち、息子を送った翌日あたりから、胸がどんどん張ってきたのです。

 

ついにはカチコチになり、絞らないと熱を持って痛くて耐えられないほどになっていました。

 

絞ると初乳らしい黄色味がかった母乳が出ます。

 

搾乳機を使おうかと思いましたが、たくさん絞ってしまうと、体はどんどん母乳を作り出そうとしてしまう、と聞いていたので、手絞りで圧を抜く程度に留めました。

 

でもまたすぐに胸は張ってきます。

 

1日に2回ほど手絞りを繰り返しましたが、やはり痛みがあり、近くの母乳外来を予約しました。

 

死産したことを事前に電話で伝えていたのですが、忘れられており、私の前に施術されていたママと赤ちゃんもまだいるお部屋に通され、幸せそうにしている姿を見るだけでもツライのに、産後の悩みとかを楽しそうに話してるのを見せつけられました。

 

私の順番になり、電話で話したことをメモしてるだろうと思っていたのですが、メモも取ってなかったのか、全く確認もせず、赤ちゃんは預けてきたのかと聞かれました。

 

電話したのも1〜2日前なのに、死産したことも伝えたのに、あまりにもプロ意識の欠ける発言にすごく傷つけられました。

 

そして、電話で話したことも全く覚えていないのか、謝ることさえありませんでした。

 

カルテ作成のために色々と聞かれ、死産したともう1度伝えたのに、フォローする言葉もなく淡々と息子の身長や体重をさらに聞いてくる無神経さ。

 

そんな助産師さんに心を開けるわけがありません。

 

むしろ死産した心のケアも少なからず期待していたのに、期待外れにも程がありました。

 

悔しくて悔しくて、泣きながらマッサージを無言で受け、たくさんツメの痕もつけられて痛いし、胸は真っ赤になり、しばらくはシャワーでもヒリヒリするほどでした。

 

プロならツメの手入れぐらいして当たり前。

 

2度と行くもんか。

 

そう心に決めました。

 

同じ助産師さんでも、人は人。

 

とても優しい方ばかりに支えてもらってきたので、わかってくれるだろうと期待していた私が悪いのかもしれません。

 

とりあえず胸の張りは落ち着いたのですが、また4〜5日するとパンパンになり、毎日少しずつ手絞りで圧を抜き続け、産後から3週間が経つ頃には胸の張りもおさまってきました。

 

 

入浴

 

シャワーはもちろんOKでしたが、入浴は産後3ヶ月以上禁止されました。

 

娘の産後の時はもう少し早くお風呂に入れた気がしたのですが、気のせいでしょうか。

 

12月、1月と寒い季節もほとんど湯船に浸かれず、シャワー後鳥肌を立てる毎日でした。

 

ゆっくりお風呂に入って癒されたい、温泉に行きたい、という思いもありましたが、先生からOKをもらえた1月末まで耐えました。

 

 

抜け毛

 

死産であろうと、妊娠中に増えた髪の毛は、産後3ヶ月を過ぎたあたりからたくさん抜け始めました。

 

娘にも引かれるほど…。笑

 

娘には大量の髪が抜けることが怖かったようで、自分の髪が少し抜けることも嫌がっていました。

 

 

輸血後の血液検査

 

私はどうやら輸血を1.2ℓ分行ったようでした。

 

輸血後は、念のため感染症になっていないか検査をする必要があるそうです。

 

出産から3ヶ月後に採血し、感染症はありませんでした。

 

大丈夫だろうとは思っていましたが、万が一ということもあるので、感染してなくてホッとしました。

 

 

生理の再開

 

産後母乳をあげることもないので、早く赤ちゃんを授かりたい私は、生理の再開を心待ちにしていました。

 

早い人なら母乳をあげていても産後2ヶ月程で生理が再開する人もいますが、私は娘が卒乳した後でも、なかなか生理が再開しませんでした。

 

なので、今回もなかなか再開しないんだろうなぁと予想はしていましたが、死産から3ヶ月後、思ったよりも早くに生理が再開しました。

 

1つ、スタートラインに立てた気がしました。

 

 

妊活の開始

 

先生には、次の妊娠はできるだけ期間を開ける方が良いと言われていました。

 

1番リスクを回避するなら1年半と。

 

子宮の回復のこともあるし、早剥になった人は次また早剥になる確率が10倍になるそうですので、念には念を、と説明してくれました。

 

妊娠初期での流産とは違って、1度臨月まで膨らんだ子宮なので、回復にも時間がかかるそうです。

 

それにしても長すぎて、私たち夫婦には耐えられる期間には思えませんでした。

 

妊活していてなかなか授からなくての1年半なら仕方ありませんが、妊活すらしてはいけない1年半だと、私たちはどれだけ暗闇を彷徨えばいいのか…と。

 

診察のたびに何度も先生に聞き、最低でも半年、と短縮してもらうことができました。

 

その間に生理を3回は飛ばすよう言われました。

 

よかった。

 

半年なら待てる。

 

次の子は絶対に元気に無事に出産したいから、先生の言う通りにすることを決めました。

 

 

第3子妊娠

 

生理が4回来て、息子を失ってから9ヶ月後。

 

待望の待望の第3子を授かることができました。

 

娘の時はなかなか授からなくて産婦人科にも通っていましたが、息子も第3子も、ほしいと思うタイミングですぐに授かることができました。

 

本当に本当に嬉しかったです。

 

でも、不安で不安で、気が気じゃありませんでした。

 

死産後仕事復帰するのも迷ったほどでしたが、産後8週を過ぎてもまだ復帰できる気がせず、100カ日の納骨が終わるまで休ませてもらっていました。

 

仕事復帰から半年での妊娠だったので、職場には申し訳ないとも思いましたが、悲しい想いをしたこと、職場の方もみなさん理解してくださっていたので、1回目の病院で正常妊娠だったことが確認できたタイミングで、早めに報告しました。

 

仕事柄、力を使うことも頻繁にあったので、息子の時は無理して切迫早産になるまでやってましたが、今回は絶対にしないと心に決めていました。

 

それでもやはり、仕事、家事、育児の両立はしんどく、娘や息子と同じ妊娠8ヶ月に入ってすぐに切迫早産で休職することになったのですが。

 

上司にもいつまで働けるかと何度も聞かれ、妊娠8ヶ月には切迫早産になる可能性も高いことを始めから伝えていました。

 

息子の時は私の代わりの人がなかなか見つからず、無理せざるを得なかったので、今回は早めに報告することで、早めの人材確保をお願いしていたのですが、なかなか見つからず。

 

最終的には何とか確保できましたが、申し送りも最後までできない状態で切迫早産になり抜けることになりました。

 

そして妊娠糖尿病になり、りんご病にもなって赤ちゃんも貧血になり、4つものリスクを抱えながら、何とか36週まで来れました。

 

私自身も貧血になり、毎日動悸を感じながら鉄剤を飲んで過ごしています。

 

来週早々の入院も決まり、誘発剤を使っての計画自然分娩に挑む予定で、昨日最後の妊婦健診を終えました。

 

息子を失った37週4日より、少し早めに入院することになり、ホッとする自分。

 

でも、今1番早剥になりやすい36週で、気を抜けない自分。

 

ちゃんと元気に産んであげられるのか、日に日に緊張は高まっています。

 

本当にあと少しの妊娠期間。

 

今度は産声を聞ける、幸せいっぱいの出産になりますように。。。

 

息子 お空へ

 

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これは、妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、赤ちゃんを死産した私の経験を書いたものです。

 

ここまで、発症から入院・出産・退院・息子にしてあげたこと・死産後の手続きに関して書いてきました。

 

この記事で、私の死産後10日間ほどのお話は最後になります。

 

 

おうちでの葬儀

 

出産から6日目。

 

我が家には朝から両家両親、妹家族が集まりました。

 

義弟と姪は、息子に会うのが初めて。

 

姪はまだ1歳なのであまりわかっていないようでしたが、息子をよしよししてくれました。

 

みんなそれぞれお花やおもちゃ、靴下などを持ってきてくれて、その気持ちが嬉しかった。

 

私たちはまだ赤ちゃんだしって思ってたから赤ちゃん用のおもちゃしか用意してなかったけど、父は自分が若い頃に買ってずっと飾っていたバイクのプラモデルを持ってきてくれました。

 

男の子らしいおもちゃ、いつか買ってあげたかったんだろうなぁと思います。

 

私が小さい頃から見慣れて育ったそのバイクを、息子のためにと持ってきてくれた父の気持ちが嬉しかったです。

 

夫は息子が家に帰ってきてから、娘に対してピリピリしていました。

 

娘も弟をかわいがってるだけなのに、力加減もまだうまく調整するのが難しい2歳が息子に触れるのが、息子にとって強すぎると思ったようで、大切にしてくれてないと感じたようです。

 

娘に対して何度も怒る姿を見て、私は娘もそんなつもりじゃないこと、大切に思ってるからかわいがりたいこと、一緒に遊びたかったのに遊べなくて娘だって悲しいこと、小さいなりにちゃんとわかってくれてることなど、たくさん伝えましたが、守れなかった息子を守りたい気持ちが強すぎて、娘を敵のように感じているようでした。

 

その気持ちもわかるのですが、死んでしまった息子を大切に思いすぎて、今元気に生きてくれている娘を怒って突き放すのは悲しかった。

 

息子の死が苦しくて、つらくて、やり場のない怒りを娘に八つ当たりしてしまったんだと思います。

 

葬儀の日は娘に加えてまだ1歳の姪もいるし、ロウソクに火をつけていることもあって危ないのが気になり、また夫はピリピリしていました。

 

できるだけ娘たちが火に近づかないよう気にかけ、騒ぎだしそうになると声をかけ、夫が怒らないよう努めました。

 

 

11:00頃、お坊さん2人が来られ、葬儀が始まりました。

 

お経を聞きながら、ボーっとする私たち。

 

時折娘と姪の声が聞こえてきます。

 

2人は義弟や母とお絵かきして遊んでもらっていました。

 

お経が終わると住職が話をしてくれたのですが、何だか疲れてあまり覚えていません。

 

1時間ほどで葬儀は終わり、お布施を渡してお坊さんのお見送りに行きました。

 

息子が生まれてから毎日雨でしたが、この日は1番どしゃ降りの雨の日でした。

 

翌日の火葬の日には晴れてほしい。

 

でも息子も泣いているのなら雨も悪くないね、と夫と話しながら家へ戻りました。

 

戻ると母がお茶を入れてくれ、みんなでお茶菓子を食べてまったりした時間が流れました。

 

頼んでいたお寿司も届き、遅めのお昼ご飯を食べ、16時頃には私の両親以外みんな帰っていきました。

 

私の実家は遠いため、両親はゲストルームにお泊まりです。

 

お昼寝してなかった娘を早々にお風呂へ入れてもらい、夕飯を食べさせ早めに寝かせました。

 

 

最後の夜

 

あっという間に出産から6日目も終わりに近づき、息子と過ごせる最後の夜です。

 

夫は息子と初めてのお風呂に入り、最後にキレイにしてもらいました。

 

お風呂の後はいろんな角度から写真を撮り、ここはママに似てる、ここはパパかなぁ〜と話しながら、全く同じところを見つけては喜んでました。

 

1番似合っていたミッキーのお洋服に袖を通し、顔色もだいぶ明るくなった息子。

 

1番いい写真が撮れたので少し画像を補正してから印刷し、それを遺影にすることに。

 

4人でお昼に家族写真も撮ってもらったので、それも棺の蓋の内側に貼りました。

 

そして最後にパパとママからのお手紙を。

 

マンスリーフォト用にと作っていた用紙は、片側はお名前、片側はメッセージが書ける仕様にしていて、写真を撮る時はお名前のみ写せるよう折って、フォトフレームに入るサイズにしていました。

 

そのメッセージ欄にパパとママからたくさんの大好きとありがとうを込めたお手紙を泣きながら書きました。

 

この夜が明けたら、いよいよ息子はお空へ帰ってしまう。

 

抱っこできるのも、チューできるのも、オムツを替えてあげれるのも、明日火葬してしまうともうできません。

 

さみしい。

 

さみしすぎる。。。

 

最後の日の夜は息子を棺から出し、ベッドに保冷剤を敷いて、4人で並んで川の字になって寝ました。

 

これから毎日こんな風に寝れると思ってたのに。。。

 

 

息子 お空へ

 

朝がやって来ました。

 

時が止まればいいのに。

 

こんなに朝が来てほしくないと思った日はありません。

 

人生で1番大嫌いな日の朝です。

 

みんなそわそわして、6時前には目が覚めていました。

 

すぐに着替えて、人通りの少ないうちにお散歩へ。

 

どうしても息子にお外の空気を吸わせて、お散歩させてあげたかった。

 

外はあいにくのお天気。

 

息子も泣いているのでしょう。

 

みんなで傘を差して、ゆっくりと近くをお散歩しました。

 

家に戻って朝ご飯を食べ、最後のオムツ交換をしていると、両親がやってきました。

 

最後の朝に、4人でもう1度写真を撮ってもらい、絵本を読み、たくさんスキンシップをとりました。

 

出棺の予定時刻になり、葬儀屋さんがお迎えに来ました。

 

イヤだ。

 

行きたくない。

 

でも行かなければなりません。

 

夫が息子を入れた棺を抱え、私はお位牌と遺影を持ち、両親にはお花や私たちのカバン、娘を託して車に乗りました。

 

最後のドライブの行き先は、1番行きたくない斎場です。

 

この日もマイカーでの移動を希望していたので、葬儀屋さん先導のもと、3台で移動しました。

 

夫は自ら運転することを希望しましたが、

「あぁー行きたくない」

と泣きながら車を進めました。

 

渋滞に巻き込まれたのは、息子も行きたくないと思ってたからかな?

 

到着予定時間を10分ほど過ぎ、1番行きたくない場所に到着してしまいました。

 

火葬の前に、最後の時間を過ごせるお部屋を予約していたので、20分ほどですが最後にお顔を見て抱っこすることができました。

 

このまま息子を離したくない。

 

棺に入れて、蓋を閉めてしまえば、それで最後。

 

2度と息子に会うことはできません。

 

このまま息子を連れて外に逃げ出したくなりました。

 

でも、そんなわけにもいかないこと、頭ではわかっています。

 

火葬の時刻もせまり、息子が安らかに眠れるよう、みんなでゆりかごの歌を歌ってあげました。

 

息子を棺に入れます。

 

棺の中は、みんなが持ってきてくれたおもちゃや手紙、お菓子でいっぱいになってました。

 

葬儀屋さんから声がかかり、最後の言葉をかけ、棺の蓋を夫が泣きながら閉めます。

 

「大丈夫やで。怖くないで。パパもママも〇〇(娘)もついてるからな」

 

怖くないわけありません。

 

蓋が閉まって真っ暗で、これから熱い熱い思いをするんですから。

 

息子は私のお腹の中より熱いところなんて知らないんですから。

 

副住職がお経を唱えてくれ、最後のお焼香をします。

 

私も夫も、棺を見つめながら立っているのがやっとです。

 

息子が窯に入れられていきます。

 

私は抱っこしている娘を強く抱きしめ、やめてと叫んでました。

 

娘もこれで弟とバイバイだと察したのでしょう。

 

一緒に泣いて

「ダメー!!!」

と叫んでました。

 

扉を閉める斎場の人を止めようとする私を、夫は抱きしめ離しませんでした。

 

扉は完全に閉まり、スイッチが押されました。

 

夫、娘と3人で抱き合い、ひたすら声を上げて泣きました。

 

息子はお空へ旅立ってしまいました。

 

こんなにこんなに苦しい瞬間は経験したことがありません。

 

もう心臓が動いていないと告げられた日よりもずっとずっと苦しい。

 

もう2度と会えなくなるのに、送り出さなきゃいけないんですから。

 

しばらく窯の前から動けませんでしたが、義父に促され待合室へ移動しました。

 

それから1時間も経たないうちに、息子は骨になりました。

 

小さな小さな骨。

 

1つ1つ全てを拾ってあげたい気持ち。

 

でも直視もできない自分。

 

私は大きな骨を少しだけ拾い、夫と両親、妹達に任せました。

 

娘も

「〇〇おほねになったん?」

と、わからないなりにわかろうと必死です。

 

娘も拾いたそうにしてましたが、熱くてヤケドするのも怖いので、大人だけで拾いました。

 

夫は最初から最後までずっとお箸を握り、汗をかきながら全てをキレイに拾ってくれました。

 

細かい破片1つも取りこぼしたくないから、と。

 

お骨になった息子は、小さな骨壷に入れられ、夫に抱えられて外へ出ました。

 

外に出てみると雨は上がり、雲の隙間から太陽の光が見えました。

 

あぁ、息子はちゃんとお空へ行けたんだなぁ。

 

さみしいけど、きっとこれでよかったんだ。

 

これからはお空から私たち家族を見守ってくれる。

 

そう感じることができました。

 

疲れ果てた私たちは、父に車を運転してもらい、家へ帰りました。

 

お骨の入った骨壷を簡易のお仏壇におさめ、しばらく空虚感でボーっとしてました。

 

それからみんなで食事に行き、改めて夫からお礼の言葉を伝えてもらい、それぞれ解散しました。

 

遠方から来てくれた両親も、夕方には家路へつきました。

 

 

息子がいなくなって…

 

私は家族以外の人に会うのが怖かった。

 

しぼんだお腹を見て、生まれたことをおめでとうと言われるのが目に見えてたから。

 

娘の保育園への送り迎えも、できれば行きたくなかった。

 

出産した日は義父母に娘を迎えに行ってもらったから、保育園の先生方には息子のことを伝えてもらっていました。

 

普段迎えに来ない義父母が迎えに来たことで、遭遇したママ友は義父母から起きたことを聞いた人もいたらしいけど、1人か2人。

 

出産の4日後には娘の運動会もあったので、夫と義父母しか来ていないところを見て、生まれたんだろうなぁと想像していたママ友も多かったと思います。

 

でも、夫は仕事だし、娘の送迎をいつまでも行かないわけにもいかないので、息子の火葬の2日後から送迎を再開しました。

 

園へ行くと、園長先生と主任の先生が出てこられ、泣きながら抱きしめてくれました。

 

その温かさに、私も涙が止まりませんでした。

 

ママ友にも早速会いました。

 

やはり聞かれます。

 

「運動会来てなかったし、生まれたんですね〜。おめでとうございます!」

 

何て説明していいのやら。

 

でも、はぐらかすわけにもいかないし、本当のことを言うしかありません。

 

私の話を聞き、私より先に泣き出すママ友。

 

どんな反応をすればいいのか、何て声をかけたらいいのか、戸惑うママ友もいました。

 

そりゃそうです。

 

自分だって予想もしてなかったし、元気に生まれてくるものだと思ってましたから、どんな反応だって受け入れられました。

 

何人ものママ友に会うたびにその都度説明するのはつらかったけど、自分の気持ちを話せるきっかけがあったことで、少しずつ真っ暗闇から抜け出せたようにも感じます。

 

なかなか会えない友達には、生まれた?って聞かれる前にメールで報告しました。

 

返事をするのもしんどい時期だったので、事実だけを報告し、返事はいらないと、素っ気なく送ってしまいました。

 

みんなも返す言葉に困ると思ったし、顔を見てではなくメールだから、余計に言葉に迷うかなぁと。

 

それでもメールを返してくれる子ばかりで、中には後日お花を送ってくれた子もいました。

 

そんな心遣いのできる友達を素敵だなぁと思ったし、自分もそんな人になりたいと思いました。

 

月命日を覚えてくれていて、メールをくれた友達もいました。

 

逆に、息子の話題には触れないようにしていた友達もいました。

 

息子の命日の前日に、妊娠報告をしてきた友達もいました。

 

その時私にも同じ頃が予定日の第3子がお腹にいましたが、このタイミングで報告する気になれず、年明けまで黙っていました。

 

人の温かさ、自分の黒さをたくさん感じた日々で、感情のアップダウンも激しく、出産を来週に控えた私は、今完全にマタニティブルーです。

 

ちょっとしたことでイライラし、八つ当たりし、ナイーブになり泣く。

 

息子が亡くなった週数に近づくにつれ、どんどんアップダウンは激しくなっています。

 

お腹の張りも増え、軽い痛みを感じると尚更不安になります。

 

第3子を守りたくて、あの時の夫のように、娘に敵意を感じる時もあります。

 

娘を大切にしたいのに、何度も同じことを言っても動かない娘にイライラして怒鳴って傷つけることも増えました。

 

こんなママ、娘だって息子だってイヤだよなぁって頭ではわかっているのですが、心に余裕がありません。

 

この子が無事に生まれたら、少しは気持ちも楽になるのかなぁ?

 

不安は尽きませんが、この子を信じて、できるだけイライラせず、穏やかに、優しい気持ちで過ごしたい。

 

どうか無事に、今度は泣いても心からの笑顔でこの子に会えますように。。。

 

 

こんな長文に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

死産後の手続きなどあれこれ


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これは、私が妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、赤ちゃんを死産した後のお話です。

 

死産という現実と向き合うのは苦しかったのですが、赤ちゃんを送り出す準備もすぐに進めなければなりません。

 

出産の翌日、助産師さんが死産後のことについて、教えてくださいました。

 

死産のケースも受け入れることが多いためか、その後の流れをまとめた用紙を渡してくれました。

 

口頭で聞いても覚えていられる精神状態ではなかったので、こういう準備がされていることはとても助かりました。

 

 

病院からの死産後の案内

 

  • 特に葬儀屋さんが決まってなければ、病院から紹介することもできる。

 

  • 埋葬の手続きなどは病院で行うことはできないので、葬儀屋さんにやってもらうか、自分たちで行わなければならない。

 

  • 自分たちで埋葬の手続きをする場合は、市役所へ死産の届出をする前に、埋葬する斎場と日時を予約し、病院に報告する。

 

  • 病院からもらう死産届に必要事項を記入して市役所に提出し、埋葬許可証をもらう。

 

  • 埋葬許可証を病院に見せないと、赤ちゃんを病院から出すことはできない。埋葬許可証はコピーでも可。埋葬許可証なしに自分たちのみでマイカーで移動することは禁止されており、法律上死体遺棄とみなされる。

 

  • 葬儀屋さんに埋葬の手続きや移動を全面的に依頼する場合は、埋葬許可証がなくても構わない。

 

  • 亡くなった人を病院外に出すには、棺または箱に入れなければならない。赤ちゃんであろうと、抱っこで出てはいけない。

 

ということでした。

 

いわゆる喪主と呼ばれる役割をすること自体、夫も私も初めての経験なので、わからないことだらけです。

 

亡くなった方の移動に霊柩車が使用されるのはそういうルールがあるからだということも、この時に初めて知りました。

 

 

葬儀屋さんとの相談内容

 

義父がもしもの時にご贔屓にしている葬儀屋さんに連絡してくれ、頭もボーっとする中、夫と私も話を聞かせてもらいました。

 

  • 赤ちゃん用の棺は常に用意があるわけではないが、翌日の退院までには必ず手配し持っていく。

 

  • 葬儀屋の方で市役所関連の手続きをすることもできるが、どうしたいか。

 

  • 葬儀をどのような形で執り行うか。

 

  • できるだけ希望に添えるようにするので、何でも言ってください。

 

私たちの心情を察し、とても親身に聞いてくださいました。

 

 

私たちの希望

 

  • 息子にとって退院して家に帰ることは、初めてのお外であり、初めてのドライブなので、マイカーで移動したい。

→OK

ただ、棺に入れてないといけないので、外の景色を見せたりはできない。

葬儀屋さんの車とマイカーの2台で移動することにしました。

 

  • 市役所関連の手続きも、全て自分たちでやってあげたい。でも全くわからないため、一緒に付いてきてほしい。

→OK

まず市役所に死産届を提出しに行き、その後埋葬許可証を持って斎場で火葬の手続きをする。

その後赤ちゃんを迎えに行き、病院へ埋葬許可証のコピーを提示する。

👨‍💼「全部教えながら進めるので、何でも言ってください」

 

  • 葬儀は自宅で家族のみで行いたい。お通夜はしなくていいが、お経はあげてもらいたい。

→OK

葬儀屋さんからお寺へ日取りの確認をしてくれることに。

細かい内容に関しては直接夫が住職と相談して、希望を伝えることになりました。

 

  • あまり日にちを延ばすのは良くないとわかってはいるが、できるだけ一緒にいたい。保管について、どうしたらいいか教えてほしい。

→OK

希望の日にちを言ってくれたら、できるだけ合わせる。

保管については、真夏ではないためドライアイスの交換を1日おきにすれば可。

赤ちゃんは皮膚が弱いため、冷やしすぎると余計に皮膚が傷んだり色が変わることもあるので、ずっと棺に入れて冷やしておかないといけないこともない。

やりたいことは全部やってあげる方が赤ちゃんも喜ぶので、たくさん抱っこしてもいいし、あまり厳密に保冷のことを考えなくてもいい。

産後の体の回復のこともあったので、出産から7日後に埋葬することにさせてもらいました。

 

  • 赤ちゃんの場合、どの程度遺骨が残るのか教えてほしい。

→赤ちゃんの骨は小さいので、火葬の窯が熱くなっている2番目以降になると温度が高くなるスピードも速く、骨が残りにくい。

朝1番の火葬なら窯が冷えている状態で始まるので、2番目以降よりは残りやすいと思う。

順番も、まだ日にちがたくさんあるので選べるだろう。

朝1番の火葬でお願いしました。

 

  • おもちゃや手紙を棺に入れてあげたい。

→OK

斎場の人にはあまりおもちゃを入れないでと言われるかもしれないが、気にしないで入れたい物を入れて良い。

 

  • 布団を作ってあげたいが、棺に付いているのか?付いているなら、それを加工してもいいのか?

→棺には布団と枕がついているので、加工しても構わない。

布団カバーと枕カバーを作ってあげることにしました。

 

全て私たちの希望を聞いてくださり、不安だった部分も解消してくれました。

 

 

死産後の手続き

 

死産届

 

出産の翌日、助産師さんより死産届をもらいました。

 

私たちが左側に必要事項を記入してから、右側に先生が内容を記入してくれる、という流れです。

 

私たちが書く内容は、名前や住所、生年月日などの基本的な項目のみです。

 

夫と私、それぞれ記入しました。

 

先生が記入してくれたのは、

  • 赤ちゃんの生まれた日時
  • 妊娠週数
  • 性別
  • 身長・体重
  • 胎児死亡のタイミング(分娩前・中)
  • 自然死産か人工中絶か
  • 死産の理由(胎児の原因か母の原因か)

などです。

 

なぜ常位胎盤早期剥離になったのかを調べるために、赤ちゃんを解剖することもできるがどうしたいか、と先生に聞かれていましたが、苦しんで生まれてきたのに、これ以上かわいそうな想いをさせたくなかったので断りました。

 

なので、赤ちゃんに原因があったかは正確にはわかりませんが、早剥の場合のほとんどは赤ちゃんに原因はないそうです。

 

死産の理由には、母側の原因しか書かれていませんでした。

 

息子は何にも悪くないのに、私のせいで…という想いを改めて突きつけられる書類でした。

 

そんな書類でも、息子に関する数少ない公式書類だから、と葬儀屋さんがコピーして保管しておくことを勧めてくださいました。

 

自分たちだけではそこまで気が回らなかったので、提出する前にコピーできてよかったです。

 

 

死産届の提出、埋葬許可証の受取

 

息子を病院に預け、夫と私と葬儀屋さんで死産届を市役所へ提出しに行きました。

 

提出場所は、戸籍に関することを扱う窓口で、出生届も取り扱う場所です。

 

本当なら出生届を提出するはずだったのに…。

 

出産後に死亡した場合なら戸籍に載せることもできるのですが、出産前にお腹の中で死亡した場合、戸籍に残すことはできないそうです。

 

お名前も決めてたけど、公式の書類として、息子の名前を残すことはできないのはつらかった。

 

埋葬許可証にも、息子の名前を書く欄はありません。

 

事前に葬儀屋さんが予約してくれていた斎場名と死産届を元に埋葬許可証が作成され、手渡されました。

 

 

埋葬許可証の提出

 

病院に埋葬許可証を見せないといけないのでコピーを取り、斎場へ向かいました。

 

埋葬許可証を受付に提出し、火葬費用を払いました。

 

相場がいくらなのかはわかりませんが、私たちが選んだ市立の斎場ではたった2,000円でした。

 

あまりの安さにビックリです。

 

あっけないなぁ〜とさえ感じました。

 

 

息子をお迎えに

 

市役所、斎場での手続きを終え、ようやく息子をお迎えに。

 

埋葬許可証を見せると、助産師さんが息子を連れてきてくれました。

 

息子は棺に入れられ、手を組んでもらい、キレイにお布団をかけてもらってました。

 

自分たちでも手を組ませてみたりしてたのですが、赤ちゃんだからなのか死後硬直というものを私は感じられず、うまく組むことが難しかったので、さすが助産師さんだなぁと感じました。

 

 

葬儀の打ち合わせ

 

葬儀屋さんの車とマイカーの2台で家へ向かい、家で葬儀屋さんからその後の流れについて聞きました。

 

  • 火葬の前日にお寺の住職に来てもらい、家で葬儀を行う。

→日にちは葬儀屋さんから住職に連絡して押さえてくれていたので、時間と参加人数をこちらから連絡しました。

 

  • 住職へのお布施の封筒は、「御布施」「御車代」「御膳料」の3枚が必要。葬儀屋さんで手配できる。

→封筒の用意は葬儀屋さんにお願いしました。それぞれの金額は義父と相談し、義父の言う通りに包みました。

 

  • 住職に出すお茶菓子などは、自分たちで用意する。

→近くの和菓子屋さんで購入し、義母が用意してくれたお茶菓子用のお皿に乗せてお渡しすることに。

 

  • お花は葬儀屋さんでも手配できるが、割高なため自分たちで用意してもいい。赤ちゃんの棺に乗せて一緒に火葬されるため、花束のような形で良い。

→葬儀屋さんで頼むと1万円からになるとのことで、近くのお花屋さんに頼むことに。

電話で赤ちゃんの葬儀に使うこと、男の子だったこと、かわいらしいイメージで白をベースに作ってほしいこと、予算を伝えてお願いしました。

翌日夫に取りに行ってもらいましたが、白と淡い水色、薄い黄色の組み合わせで、息子のイメージにピッタリな花束を作ってくれていました。

 

  • 葬儀後、火葬後の食事はどうするのか。葬儀屋さんで手配することもできる。

→パンフレットを見せてもらいましたが、最近は絶対に精進料理ということもないようで、お肉やお魚が入っている物の方が多かったです。

義父母に精進料理にこだわるか聞いたところ、今はそうゆう流れなら気にしなくていいとのことでした。

精進料理でなくていいなら、お店で食べるなり、出前を取るなりすればいいので、自分たちで用意することにしました。

 

最後に葬儀費用の説明を受け、見積書をもらい、葬儀後に現金でお支払いしました。

 

 

とても親切で、私たちの想いをたくさん組み込んでくれた葬儀屋さん。

 

今まで葬儀屋さんとお話したこともなかったので、勝手なイメージを持っていましたが、とてもいい職業だなぁと感じました。

 

人の最期の時を、どのように送り出すか。

 

最期にしてあげたいことはどんなことなのか。

 

それを巧みに聞き取り、叶えられるように最善を尽くす。

 

終活としてエンディングノートに自分がどうしてほしいかを記録しておくこともできるような時代ですが、私たち30代にとってはまだ先のことで考えたこともありませんでした。

 

親も祖母もまだまだ元気ですし、祖父が亡くなった時もまだ学生で何も考えてない頃でした。

 

人の最期の時を一緒に寄り添い、その人らしい送り方を提案する、とてもやりがいのある温かいお仕事です。

 

担当してくださった方には本当に感謝です。

 

 

あと1つ、葬儀のことを書いたら、この死産に関する記事も最後になります。

 

私の第3子の出産の予定も決まりました。

 

あと少しの一心同体の時間。

 

1番常位胎盤早期剥離になるリスクの高い時。

 

このまま何もなく、無事に入院の日を迎えられることを信じて、息子に毎日無事に生まれてこれるようお願いし、入院の日を待とうと思います。

 

私たちにとって、神様や仏様より1番にお願いするのは息子です。

 

きっと息子が支えてくれるはず。

 

大丈夫と信じて、あと少しのこの胎動を感じていたいと思います。

 

 

死産の赤ちゃんでもしてあげれることはたくさんある! ◆おうち編②◆

 

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これは、私が妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、赤ちゃんを死産したお話です。

 

発症から入院・出産・退院までの経過をまだ読んでない方は、こちらを読んでからお進みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子にしてあげたこと

 

4人で川の字になって寝よう

 

息子が生まれたら、4人で川の字になって寝るのが夢でした。

 

長時間は保冷の関係もあって難しいけど、最後の日の夜だけは、保冷剤をベッドに敷いてみんなで川の字で寝ました。

 

横顔もしっかり胸に刻んで。

 

 

おっぱいをあげてみよう

 

お仏壇にはお水の代わりにミルクを毎日入れてあげていたのですが、やっぱりこの子にもおっぱいをくわえさせてあげたい。

 

おっぱいが分泌するのを抑制する薬を病院で飲んでいたので、息子がいる間におっぱいを実際にお口に入れてあげることはできなかったのですが、くわえるだけならできました。

 

お口を開けてあげてくわえさせると、本当に飲んでるみたい。

 

お口の中はまだ乾燥してなかったこともあって、息子の唾液がおっぱいに付いて湿ったことも嬉しかった。

 

息子が旅立ったあと、おっぱいが張って絞らないと痛いぐらいにまでなってしまったので、こんなことならおっぱいを止める薬、飲まなきゃよかったなぁと、少し心残りです。

 

少しでもおっぱいをふくませてあげたかった。

 

 

一緒にお風呂に入ろう

 

沐浴は病院でもしてあげたのですが、沐浴の時期を過ぎたら一緒にお風呂に入りたかったと言う夫。

 

あんまり温まるのは怖かったので、36℃でお風呂を沸かし、お湯につかるのも1分程だけにして、夫とお風呂に入ってもらいました。

 

36℃でも怖いと言う夫は、さらに水を足して温水プール並みの温度にしてましたが。

 

大きなお風呂でたまに口を開けながら入る姿はとっても気持ちよさそうでした。

 

お膝に乗せて体も洗ってあげて、沐浴とはまた違う良さを夫も感じられたようです。

 

 

娘と背比べをしよう

 

こんなに大きさが違うんだよって写真を残したかったので、2人で横に並んで寝てもらいました。

 

娘は息子よりも小さく生まれたのですが、息子の倍ぐらいの大きさになってて、娘の成長も感じられる姉弟写真になりました。

 

 

立体の手形と足形を取ろう

 

私が息子を死産したことを知ったお隣さんが、息子が旅立つ前にと、手形足形キットをプレゼントしてくれました。

 

唯一家族以外で息子のお顔を見に来てもらったご家族です。

 

いつも良くしてくれて、妊娠中も出会うたびにいろんな話を聞いてくれてました。

 

ご夫婦共に一緒に泣いてくれて、私達の気持ちを全部聞いてくれて、私達も誰かに話せたことで気持ちの整理ができた部分もあり、本当にありがたく、温かい気持ちになりました。

 

病院では平面の手形と足形を取ってくれてましたが、立体の方が大きさとかリアルだよってプレゼントしてくれて、今でも本当に取っておいてよかったと思う物になっています。

 

写真と生まれた時の時間や身長・体重などの記録と一緒に、その手形足形を額に入れてリビングで大切に飾らせてもらっています。

 

 

旅立ちのお布団セットをかわいくしよう

 

真っ白なお布団が棺にセットされていましたが、何だか殺風景。

 

息子のためにスタイやガーゼハンカチを手作りしたいと思って、生地は買ってありましたが、何にも作れていませんでした。

 

このままだと悔いが残ると思ったので、その生地で布団カバーと枕カバーを作ることに。

 

いろんな組み合わせを考えて夫と相談し、枕は星柄、布団カバーはミルク瓶柄に。

 

お星様になって、私達家族を見守っててね。

 

お腹すいて泣いてたらかわいそうだから、ミルク瓶持たせてあげるからね。

 

そんな意味を込めて。

 

赤ちゃんらしい、温かみのある棺になりました。

 

 

お手紙を書こう

 

棺に入れてあげる家族写真と一緒に、お手紙も入れることに。

 

短い文章だけど、後悔の言葉はできるだけ使わないで、ありがとうの気持ちと大好きをたくさん込めて。

 

娘には息子の似顔絵を描いてもらいました。

 

写真と手紙を棺の蓋の裏側に貼って、1人でお空へ行くのが少しでもさみしくないようにしました。

 

 

お散歩しよう

 

息子が生まれた日はよく晴れた暑い日でしたが、その翌日から私達が泣いているのと同じように、息子も泣いているのか、毎日毎日雨でした。

 

旅立ちの日の朝、一緒にお散歩したいという気持ちがどうしてもあり、早朝6時にみんなで傘をさしてお散歩することに。

 

息子の顔色はだいぶ明るくなっていましたが、周りの目も気になるので、人通りの少ない早朝にしました。

 

秋でまだ太陽が上がるのも冬ほど遅くなかったので、明るくてよかったです。

 

息子と娘と家族4人での最初で最後のお散歩。

 

大きくなったら4人で手をつないで歩くのが夢でした。

 

それは叶えられませんでしたが、抱っこでも4人でお散歩できたことは一生忘れません。

 

 

後悔のない旅立ちを

 

赤ちゃんを死産・流産した場合、その週数や火葬までの時間にもよって、できることやできないことがどうしてもあります。

 

私の場合、息子は臨月に入ってからのことだったため、元気に生まれてくる赤ちゃんと大きさもほとんど変わりなく、ベビー服もぶかぶかにはならずに着せてあげられたし、たくさんのことを一緒にできました。

 

火葬までの時間も、生まれた日を含めて7日間、葬儀屋さんには無理を言ってとらせてもらったので、やりたかったことは思いつく限り全てできました。

 

でも、親からは早くお空に返してあげた方がいいんじゃないか、時間と共に体が傷んでしまうのはかわいそう、など色々と言われました。

 

死者と写真を撮るのは良くない、自分の命も持っていかれる、という考えもあるようです。

 

また、忘れられなくなるから赤ちゃんに会わない方がいいと言われる場合もあったり、ママの体調関係なしに、入院中に火葬も終わってしまう、ということもあるようです。

 

私は今回帝王切開にならなかったこともあって、たった3日間の入院で済み、体への負担も少なかったため、退院後もまだ余力がありました。

 

その方によって、やりたかったけどどうしてもできなかった、ということもたくさんあると思います。

 

でも、もしも自分で選べる状況にあるのなら、絶対に赤ちゃんに会うことをオススメしますし、葬儀屋さんや親を説得して、できるだけ一緒に時間を過ごしてほしいと私は思います。

 

喪失感や絶望感、後悔、自責の念、悲しみ、苦しみ、怒り、いろんな感情でいっぱいになりますが、お腹の中で大切に大切に育ててきた子と向き合うと、愛しさでその負の気持ちも少しは隠れてくれます。

 

いろんな考え方がありますが、私は自分が前に進むためにも、赤ちゃんとしっかり向き合ってよかったと思っています。

 

2017年の秋に放送されたコウノドリでも、第5話で篠原ゆき子さん演じる妊婦さんが、子宮内胎児死亡で赤ちゃんを死産されるシーンがありました。

 

早剥ではありませんでしたが、普通分娩だったことも含め、私の状況とかなり似通っていました。

 

出産シーンは、自分を見ているかのようで号泣でしたし、同じ経験をした直後の私が見ても全く違和感を感じないほど、本当にリアルに描かれていました。

 

その篠原さん演じる妊婦さんも、退院後おうちに赤ちゃんを連れて帰ってあげていましたし、ケーキを作ってあげたりしていました。

 

もしも選べる状況にあるのなら、病院側は一緒に過ごせる時間をもつことを提案できるのが主流になってほしいなと思います。

 

流産であれ死産であれ、後悔はいつまでもくっついてきます。

 

認知症のおばあさんが昔の記憶に戻って、赤ちゃんを流産した時の話をしてくれることもあるぐらいです。

 

昔は早く忘れなさい、と言われるのが主流だったようなので、悲しい気持ちを押し殺して毎日過ごしていたのかな、と想像してしまいます。

 

旅立ちの日までの時間をどのように過ごすかで、少しは前を向けるような気がします。

 

もし同じ苦しみを味わった方が読んでくださっているのなら、少しでも赤ちゃんと向き合い、後悔のない旅立ちにしてほしいと思います。