33歳 産休・育休ママの家計改善

妊娠・出産・家事・育児・家計管理のお話

産声のない出産

 

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これは、妊娠37週4日で常位胎盤早期剥離になり、子宮内胎児死亡に至った私の経験を書いたブログです。

 

ここまでの経過をまだ読んでない方は、こちらを読んでから先に進んでください。

 

 

 

 

 

陣痛促進剤を使っての自然分娩

 

痛みが出始めてから6時間後、私は高度救命救急センターから産婦人科病棟に移動しました。

 

着いた先はLDR

 

ここからは通常の自然分娩です。

 

救命センターでは20人ほどのスタッフに囲まれていましたが、その人数は4人に減り、先生1人と後は助産師さんという体制に変わりました。

 

救命センターにいる間に陣痛促進剤を注入されましたが、まだ規則的な痛みは来ていません。

 

でもずっと激痛で、張り続けるお腹。

 

横を向くと少しだけ痛みは和らぎましたが、手足にたくさんルートが取られているので下手に動けません。

 

夫も外で待つように言われ、この苦しい時間を1人で耐えていました。

 

それからどれぐらいの時間が経ったかわかりませんが、定期的な痛みが襲ってきました。

 

ずっと張り続ける岩のようなお腹がさらに硬くなるんですから、もう激痛を通り越して目も開けていられません。

 

それでも意識消失してないか確認する必要がある助産師さんに、目を開けているよう厳しく言われました。

 

泣きすぎて目も腫れてただでさえ開けにくいのに、強く目をつぶらなければ耐えられない痛みで、私の右目はうっ血でもしたのかさらに腫れ上がっていました。

 

もちろんそのことに気づいたのは、お産後になるのですが。

 

17時を過ぎたのか、その厳しかった助産師さんもいなくなり、LDRには先生と助産師さん1人と私のみとなりました。

 

通常の自然分娩なら、この段階で先生や助産師さんがずっと立ち会うことはないのですが、急変時に即帝王切開へ移行しなければならないこともあってか、ずっといてくれて、子宮口の開き具合やバイタルチェックを細かくしてくれていました。

 

もう何度輸血も足したのかわからないほど、パックを取り替えていたように思います。

 

 

痛みが増して心も身体も限界に…

 

子宮口が開いてきて、時間が経つごとにどんどん痛みは増していきます。

 

陣痛だけでも激痛なのに、絶え間なくお腹の張りも続いているので、気がおかしくなってきました。

 

普通なら陣痛の合間は痛みもなく休めるのですが、その時間すらずっと痛いんですから。

 

私の口からは文句が溢れ出しました。

 

👩‍🦰「先生もう痛すぎて無理です!もう切ってください!こんなの耐えられません!」

 

先生はそう言う私をなだめて、お産が進んできてるから頑張りましょうと言ってくれるのですが、そんなもんでは私の気持ちはおさまりません。

 

👩‍🦰「陣痛の合間もずっと痛いんですよ?休む暇もないんですよ?どんだけ頑張ったって赤ちゃんの声聞けるわけじゃないのに、もう頑張れません!」

 

赤ちゃんが元気だとしてもかなりつらい陣痛なのに、もう死んでしまっている赤ちゃんを産むこのつらさ。

 

心も痛いしお腹も痛い。

 

この子には未来もない。

 

何を目標にこの出産に挑むのか、私にはもうわかりませんでした。

 

心も身体も限界でした。

 

👩‍🦰「先生もう痛すぎて無理やから切るのダメなら麻酔してくださいよ!」

 

先生も助産師さんも、きっとこんなことばっかり聞かされるの、ストレスだったと思います。

 

でもこのつらさと痛みをぶつける場所もなくて、やり場のない気持ちをどうしたらいいのかもわかりませんでした。

 

子宮口が7cmほどまで開いてきた頃、先生も私の発言に疲れてきたのか、あと少しで全開になるから気休めにでもと思ったのか、

👨‍⚕️「今痛み止め入れたから、もう少ししたら効いてくると思うからね」

と言ってくれました。

 

でも先生の気持ちを思いやる余裕すらない私は、

👩‍🦰「そんなんウソでしょ」

と切り捨ててしまいました。。。

 

思い返すだけで恥ずかしいし、申し訳なかったです。

 

でも事実、麻酔医もいなかったし、麻酔を使うには説明を受けて同意書にサインしなければならないし、無痛・和痛分娩にするには事前に麻酔科にも受診してないといけなかったので、私の言うことも間違いではなかったのです。

 

先生も助産師さんも、こんな私の出産を担当するのはしんどかったと思います。

 

 

ようやく夫が入室!夫が言った魔法の言葉

 

それからしばらくして、子宮口が8〜9cmまで開いたのか、夫がやっとLDRに入ってきました。

 

私の口からは痛すぎること、何で赤ちゃんは生きて生まれてこれないのに、産声も聞けないのに、こんな痛い思いをして出産をしないといけないのか、などばかりが飛び出しました。

 

夫もツライのに、でも笑顔を向けて手を握りしめてこう言ってくれました。

 

👱‍♂️「もうすぐ◯◯に会えるんやで?◯◯の顔見たいやろ?もうすぐ抱っこできるんやから、頑張って産んであげよう!」

 

私はこの一言で、この出産の目標が見えました。

 

むしろ、こんなに悪態つきながらここまで来てしまったこと、赤ちゃんに申し訳なく感じました。

 

産声が聞けなくても、出産は出産。

 

この痛みに耐えて産めたら、赤ちゃんに会える。

 

抱っこしてあげれる。

 

お顔が見れる。

 

それは生きていても死んでしまってても同じ。

 

ただ声が聞けない、動かないだけ。

 

ずっとどんなお顔をしてるのか、生まれてくるのを楽しみにしてたし、その夢は叶う。

 

だったら私が頑張って産んであげるしかありません。

 

もっと早くに夫の立ち会いを希望すればよかった。

 

一緒にいれない理由なんてなかっただろうに、私も夫も病院のスタッフに言われるがまま、2時間も別々にいたなんて。

 

緊急事態だったから、立ち会いどうこうまで考える余裕もありませんでしたが…。

 

 

笑顔で乗り越えた産声のない出産

 

夫の言葉を聞いてからの私は、もう別人かのように悪態はつかなくなりました。

 

あんなに心も身体も限界を超えてたのに、力を取り戻したかのように痛みにも耐えれるようになりました。

 

私のポッキリ折れた心を、夫が包帯でぐるぐる巻きにして支えてくれた感じでした。

 

もう1人で挑む出産ではありません。

 

夫婦2人で頑張る出産です。

 

夫もたくさん泣いて目が真っ赤でしたが、ずっと笑顔でした。

 

それだけで私も心に余裕ができました。

 

夫が入室して30分、ようやく子宮口全開です!

 

最後の力を振り絞っていきみ、赤ちゃんが生まれてきました。

 

もちろん産声はありません。

 

全身は青紫になっています。

 

その姿を見ると胸は苦しくなり、また涙が溢れ出しましたが、ようやく会えた息子はとってもとってもかわいくて、私たちには笑顔が溢れていました。

 

身体を拭いてもらって、生きてる赤ちゃんと同じように身長や体重を計測してもらい、私たちのところへ戻ってきた赤ちゃん。

 

カンガルーケアもさせてもらえました。

 

写真も撮らせてもらえました。

 

夫は抱っこもさせてもらいました。

 

👱‍♂️「◯◯〜、かわいいなぁ〜お前♡よく頑張ったなぁ!ママを守ってくれてありがとう!」

 

泣きながら、でも笑顔でそう言う夫を見て、息子の強さと男同士の絆みたいなものを感じました。

 

夫は早速トントンしながら歌も歌ってあげてました。

 

👱‍♂️「◯◯が生まれてきたら、絶対子守唄歌ってあげたかってん」

 

こんな状況なのに、そこまでできる夫にビックリもしましたが、ほんわか温かい空気感を作ってくれたのは間違いありません。

 

産声のない出産に、希望と笑顔をくれた夫。

 

夫がいてくれたから、息子との対面を笑顔で迎えることができました。

 

ありがとう。

 

妹も仕事終わりに駆けつけてくれて、泣きながらLDRに入ってきましたが、私たちの笑ってる顔を見て、つられて笑顔になってました。

 

👩‍🦰「かわいいやろ〜?♡」

って、普通に言えてる私。

 

たとえ死んでしまってても、元気に生まれてきた赤ちゃんとできるだけ同じようにしてあげたい、と思えるようになってました。

 

 

つづく。。。

 

 

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産婦人科診療相互援助システムでは、早剥予防のための啓発運動を行っています。

 

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現在の医学でも予防・予見ができない早剥。

 

私たち妊婦がその病気を知り、他人事と思わずに頭の片隅でいいから、記憶に置いておくことが重要です。

 

私も経験者として、早剥予防の啓発運動に協力したいと思っています。

 

早剥は、最も重症化すると母子共に死亡するリスクがあります。

 

助かったとしても、赤ちゃんは脳性麻痺になったり、お母さんは子宮を摘出しないといけなくなることもあります。

 

発症確率はたった0.6%ですが、とっても怖い病気です。

 

早剥を知り、少しでも私と同じ悲しい思いをする人が減ることを願っています。